創業安政二年。…安政ってどんな時代?

秋田は初夏らしい日差しが降り注いでおります。
寒暖の差が激しくて、寒かったり暑かったりで…(><)

さて、石孫の創業は商品のレッテルなどにも付いておりますが安政二年と、なっております。

では、この安政二年っていつ頃?
大老井伊直弼が関わった弾圧事件が「安政の大獄」と呼ばれていますから、江戸時代の末期だと言うことはだいたい想像が付きますけど、やはりぼんやりしたものですね。

昨夜、テレビを見ていましたら今年のNHK大河ドラマの「篤姫」の話題が。
浦賀にペリーの黒船が来たのが安政元年、この篤姫が十三代将軍の正室となったのが安政三年、その将軍徳川家定が没したのが安政五年、更に桜田門外で井伊大老が暗殺されたのが安政七年。
そして、肝心の安政二年には、江戸周辺に甚大な被害をもたらした「安政の大地震」が起きています。

東北の片田舎にこの騒動がどのように影響したのかはわかりませんが、初代孫左エ門が醤油を作り始めたのはこんな激動の時代だったんですね。

改めて歴史の長さを感じ、また、その頃からずっと同じものを作り続けている頑固さにも感心してしまいました(笑)
五代孫左エ門の奥さんであり、四代孫左エ門の娘である‘石孫のおばあちゃん’、御歳90によりますと、戦争の時代にも蔵の仕事を続けていくのは、まず原料の確保からして難しく、とんでもない材料で味噌や醤油のようなものを造らなければいけないこともあったそうです。

厳しい時代をどうにか乗り越え、次に困ったことは何か無かったかといちばん古くからいる杜氏に尋ねてみましたら、「平成の米騒動」と即答。
平成五年、記録的な冷夏による米不足でタイなどからの輸入米に頼らなければならなかった時期がありました。
この時、石孫の蔵にもやはりタイ米が入ってきましたが、日本の米とは全く質の違う米での麹作りにはずいぶん苦労したようでした。

石孫の歴史は150年を超えています。この長い期間の全部が記録されているわけではないのが、ちょっと残念です。
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by: | 2008/06/14 19:46 | URL [編集] | page top↑

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